熱帯雨林からこんにちは

書いたり書かなかったり

2020/09/25-2020/10/03

日記のおサボり

またサボってました。日記に書き残すようなこともないような気もして。人生薄っぺらいからでしょうか。小指の爪ほどはあってほしいですが、尺度は人それぞれなので正解はコレ!とも言いにくいのが、難しいですね。

でも「日記を書くことはいい。特にほめ日記はいいよ」と改めて人に言われたのでがんばろうと思います。「うんちできた!えらい!」レベルですが。ただうんちできるのは、いくつになっても偉いだとは思いますが、アラサー女子がそれを言うとただのヤバいやつになるので、これはものの例えです。全世界に公開するリスクを考えると、スッカスカでも仕方ない。日常についてあまり触れないということは、普段と同じ生活を送れていることの証左です。

こうやって都合の良い言い訳ができるようになったのは、大人になったからなのか、自己犠牲の精神が働いているからか。まー、どうでもいいか!

そもそもインターネットで日記を書くことに難色が出てきた

なんかね、自分の文章に自信がなくなってしまったんです。文章が下手と言うか、要領を得ない書き方をしているのではないかと思うことが増えてきました。なんでかなぁと思ったら、ウォッチングしている炎上を見ていると「この人の言っていることはわからない」というものが昔より多くなっていることを感じているからです。

特に最近の炎上を見ていて思うのは「マジで日本語が理解でにない人がいるな」ということです。この炎上は主にTwitterで見ているわけですが、ツリーに連なる長文ツイートが非常にわかりにくい。たのむ、一気に見せてくれ。140字の縛りはキツイのはわかるけども、長々とツイートしたからといって質の良い文章というわけでもないんだから。なんなら140字以内ですら、言っていることが違うというのもザラですし。

そう考えると、文章の精査を行ってくれる校閲の方や、編集さんの偉大さがよくわかります。

これを己を省みた時に「果たして自分もそう言えるのだろうか」と思うわけです。反面教師というべきかいなかわかりませんけど「気をつけたいな」と思いました。誰が見ているのかわからないインターネットで、誰にでもわかりやすく文章を作成するのは難しいです。わかっていても「ナマケモノの言いたいことがわかるぞ」という人の人数が多いと、書いていてもモチベーションがあがるわけで。共感できる文章というものが私がいい文章だと考えているため、こういった発送になるわけです。しかしここで日常生活を公開しすぎると、共感は得られない。

ようは炎上を見すぎて、ネットに文章を書くのにビビりすぎているってことです。チキン!

めでたい日でした

10/3が誕生日なので、無事にアラサーをまた極めました。

これまでの人生で、誕生日というものは1年のうちにある区切りの一つで、特に誰にも公開しなくても良いものだと思っていました。だから「おめでとう」と言われてなんと答えたらいいのかわからなかったです。本人である私ですら誕生日を忘れるわけですから。ですが、おじさんといると「記念日というものは、誰かに日々の感謝を伝えるには最高の日なんだ」ということに気づきました。「おめでとう」の一言でもなにか、自分が偉いことをしている気がする。いや、実際生きていることがえらいわけですが。

他の人がどういう意図で「誕生日です!」って言うのはわかりませんが、少なくとも「おめでとう」と言えることはその人がどうにか生きていることを「いいね!」と言える良い日だということがわかりました。

おじさんすごいね、どんどん価値観を変えていく。これからもどんどん頼むぞ。

最後、のろけたな。まぁ、いいか。明日の日記のネタを探しに行こう。では!